旧百三十銀行とは

日本近代建築の先駆者、辰野金吾(1854~1919)の主宰する辰野・片岡設計事務所の設計で、大正4年(1915)に建てられた鉄筋コンクリート造りの銀行です。

外観は赤レンガ風の壁体に、玄関、柱頭、窓周りを幾何学模様で施し、「洗出し」で石造風に仕上げ、大正期のモダンデザインを表現しています。

百三十銀行外観

百三十銀行は、国立銀行条例〈明治5年(1872)制定〉にもとづいて、全国に設立された153銀行の一つで、大阪を本店とする銀行でした。八幡支店は、若松支店の八幡派出所として、明治37年(1904)旧八幡町春の町(現・八幡東区)に開設され、同39年(1906)西本町3丁目に新築移転と共に支店に昇格しました。

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この建物は、大正12年(1923)銀行合同により安田銀行八幡支店となり、昭和14年(1939)まで安田銀行が使用していました。その後、建物は昭和25年(1950)旧八幡市の所有となり、同26年(1951)ごろの、戦災復興事業でもとの位置から南西約80mの現在地に曳家されたものです。

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平成4年から5年(1992、93)に復元修理工事が行われ、同年10月から市立旧百三十銀行ギャラリーとして活用されています。

建築家 辰野金吾

百三十銀行の設計者である 辰野金吾(1854-1919)は、「日 本近代建築の父」と言われた 建築家です。

現在の佐賀県唐津市に生まれ、工部大学校(現在の東京 大学工学部建築学科)第1期 生として卒業後、イギリスへ官費留学しています。帰国後は工部大学校教授として明 治・大正の建築界を主導し、日本銀行本店、東京駅など、日本の近代化を象徴する建築作品を手掛けています。

赤レンガの壁に白い石を帯状に入れた「辰野式」と呼ばれる スタイルの作品を多く手がけていますが、新しい動きにも敏感 で、戸畑の旧松本健次郎邸ではヨーロッパで流行していたアー ル・ヌーヴォーをいち早く取り入れています。古典主義の装飾 を大胆に簡略化した旧百三十銀行ギャラリーの造形にも、この ような辰野のチャレンジ精神が表れていると言えるでしょう。